単騎独考

切れるカミソリではなく、切れなくてもナタでありたい。

己こそ己の寄る辺

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後遺症で体調も悪く仕事も回らず一番札所の坊さんに言われるまま。遍路を何周も回ったのは六年前。突然、東京への飛行機の中で意識を失い、原因不明の腰椎の圧迫骨折を経験します。この経験があるから、「一番札所には『己こそ己の寄る辺、己をおきて誰に寄る辺ぞ』と釈迦の言葉がお堂に貼ってある。困った人が最期に行く遍路の一番札所に書いてある、オウムが偽物、インチキだと言うのは頼れ、言いなりになれと言うからだ」と言えるのだなと思います。ここを映画の中に入れないといけないんだなと思います。
 

 

被害者がサリン事件を乗り越えるということ

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サリンガスの後遺症は、身体的に直接的な後遺症となる。

その中で、創造するというのは激痛を伴う作業だ。

ずっと私にはそれができなかった。

だから、ドキュメンタリーを撮り始めたのだ。

ドキュメンタリーが資金難に陥り、親父も一時危篤になり、必死で書いた原稿がこの「小さくても勝てます」だ。

私は「サリン」の文字が本文にも著者略歴のどこにもない本を出した。

サリンは吸ってみないとわからない。

本当に苦しいのです。

でも、何とかなります、本当です。

なんとか、この本を出せたのですから。

 

 

 

 

 

 

 

麻原(松本智津夫)回帰なんか全くしていない

私はドキュメンタリーの制作を通じ、アレフの施設を訪問し、荒木浩、その他の出家信者の話を随分と聞いた。

 

よくマスメディアは「麻原(松本智津夫)回帰」という言い方をしますが、それは間違った表現です。

 

アレフ信者には脳みその芯まで麻原(松本智津夫)が浸透しています。

 

社会はあの教団をなんとかしなければなりません。

松本智津夫の遺骨は海への散骨でも危険かもしれない。

松本智津夫の遺骨を海に散骨するという考え方は最初良いアイデアかもしれないと思ったが、実はまだ脇が甘いかもしれないと思う。

 

「散骨した骨が何か摩訶不思議な作用で出て来た」という話は作れるのである。

 

宗教的な聖者の話はその手の感じのものが多い。

 

松本智津夫の信者にとって大切なのは帰依する対象である。

 

その骨が本物である必要はない。

 

それならば、国が管理している方が偽物が出てくる可能性がなくて安全だと思う。

 

オウムは危険

上祐史浩が目撃したことを公表できなかったのが、本当に恐怖心が植え付けられていたためだとしたらオウムは危険だ。

また、もし、帰依したままだと言われる新実元死刑囚などと息を合わせて、松本智津夫延命の試みだったとしたら、それもまた、オウムは危険だとしか言っていない。

どちらにせよ、オウムは危険である。

「思想信教の自由」「結社の自由」「布教の自由」がある中、私たちはどうしたら良いのか私にもわからない。

 

歯を食いしばって頑張って良かった

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映画とジャーナリズムは別物だと私は思うが、私しか知り得ない情報、持ち得ない体験を持っていることによって、その二つを同時に期待されている。

 

重責だと思う。

 

歯をくいしばって頑張って良かった。

 

作業にはやはりペンと紙が必要ですね。

 

上祐史浩にはガッカリした

言い訳しかしていない。

 

結局、保身。

 

さっさと言わなかったことで、何人のアレフ信者が生まれたか、何人のアレフ信者が自ら信じてることを疑い損ね、人生を無駄にしたか。

 

何にもない。

 

空っぽではないか。