単騎独考

切れるカミソリではなく、切れなくてもナタでありたい。

荒木浩に再会する。

f:id:atsushisakahara:20181225194537j:image

 

京都弁護士会館であった死刑反対の映像ディレクター長塚洋とオウム死刑囚を担当した弁護士二人による映像上映とパネルディスカッションに会に昨日聴衆として参加した。

 

私は死刑に関しては「判断がつかない」という立場を表明している。私は犯罪被害者であるので判断できる資質を失っているとも思うからだ。

できるだけ死刑にしない方が良いし、そんな制度もない方が良い、それは子供でもわかる意見だ。

しかし、制度自体を廃止にするのなら「死刑がなくてはならないという状況はないのか?」という問いを立てることは大切だ。

長塚洋はオウム真相究明の会に裏で関わっていたと意味ありげに講演で話したが、「死刑がなくてはならないという状況はないのか?」という問いを立てないのは議論としては詰めが甘いように思う。

上祐史浩のように、麻原の影に怯える人は少なくない。日本脱カルト協会で同じ状況の脱会信者の声を聞いたこともある。麻原のやった犯罪は過去のものではなく、現在も進行形で続いているのである。

そして、麻原が確かに極刑に値するのなら、死刑執行してもらえれば、脱会信者という被害者達は人生を取り戻せる可能性があるのである。被害者の感情ではなく、実害を現実に与え続けているのだから必要な対応はなされなければならない。

オウム真相究明の会の関係者はこのことをわかっているはずだが、無視しているように思う。無視する理由は「死刑反対」という結論が先にあるディベートを仕掛けているからだ。

パネルディスカッションは観客の感情に訴えるように作られていた。青年時代の人間らしさを盛んに強調した。

そして、「彼らはポアして救おうとしたのだ」とも長塚洋は言った。

少しでも死刑囚の立場をよく見えるようにしたいのだろうが、これは聴衆をミスリードする重大な誤りだ。

私は高橋克哉の裁判員裁判上祐史浩の「地下鉄サリン事件はポアではない、そんな多数の人をポアできない」という証言を傍聴して聞いいる。私たちは虫けらのように単に殺されかけただけだ。

詳しいはずの弁護士二人は訂正もしなかった。

結局、オウム真相究明の会の議論、一緒に動く死刑反対派の弁護士の議論というのはその程度なのだ。

長塚洋は聴衆に向かって「マスメディアは都合の良いことだけを流しますからね」と言った。

私にはその瞬間、長塚洋がジョージ・オーウェル動物農場に出てくる豚に見えた。

結局は映像ディレクター、マスメディアの話法から自由ではないのだ。

講演が終わると弁護士にアレフ荒木浩が挨拶に来ているを見つけ声をかけると、荒木浩は満足な挨拶もせずに逃げるように去った。

オウム真相究明の会は麻原の三女と繋がってるという噂を聞いたことがあった。発表の場にいたらしい。オウム後継団体とは関係がないと説明する三女とだけではなく、アレフとも繋がっているのである。

「なんだ、そういうことか」と私は思った。

オウム真相究明の会はアレフの片棒を担ぐ会だという噂は本当だったのかもしれない。

 友人に「荒木浩は信心を捨ててくれないですかね」と話すと、「信教の自由がありますからね」と言ったが、信教の自由は教会や国家権力に対して発動できる権力で、直接の被害者に発動すべきことではないと思う。

 もちろん、被害者に行使する権力も実際の力もない。しかし、被害者が「一度、信心を捨てて見てもらえませんか?」と申し出れば、それは素直に聞けるのが宗教家なのではないかと思う。

出家信者と自称している荒木浩はそれを無視している。彼は宗教家でもないし、 彼が信じているものは宗教ですらない、と思う。 

ドキュメンタリーをAGANAI作って良かったと思う。

ちなみにオウム真相究明の会のウエブサイトはもうない。

一過性のことだったのか。

みんな、もう少し踏み込んで考えて欲しいです。