単騎独考

切れるカミソリではなく、切れなくてもナタでありたい。

ああ言えば上祐の終焉

週刊新潮の記事を読んだ。

 

上祐史浩は麻原が人を殺すのを止めずに見ていた、そして、それを隠し続けた。

 

麻原の死刑直後のタイミングでそれを認めたことは社会的には大きな意味があると思う。(取材が死刑前だと延命工作の可能性もあるが)

 

麻原が死んだから言えたのかもしれないが、そのことは評価したい。

 

しかし、隠し通した罪は重い。

 

2015年、高橋克也の公判が進んでいた頃、上祐史浩との対談本のあとがきについて上祐と随分と電話で激論を交わした。

 

悔い改めるのなら、言い訳をせず、徒党を組まず、宗教みたいな活動はやめ、たった一人になり、饒舌な弁論術を駆使しようのない、自然相手、メディアに一切出ず、一人で畑を耕して生きなさいと勧めたが、「人間も自然ではないか」と反論していた。

 

誰しもそういう側面があるが、上祐は保身の人であった。

 

しかし、この「保身」こそ、オウム真理教の本質だという気がしてならない。

 

また、上祐史浩を担いだマスメディア、言論人は責任が重い。

 

上祐さん、もう、ひかりの輪は終わったと思います。生きていけない人の面倒は国が見るべきだと思います。アレフへの対応も国の仕事だと思います。たった一人、畑を耕して生きていけばいいではないですか。

 

「被害者に言われら無視できない」とおっしゃっていましたね。

 

「思想信教の自由」「結社の自由」があるので、意見を伝えても、命じることはできない、一被害者の意見としてお伝えする、そういう話の終わり方だったように覚えています。

 

そろそろ被害者の意見を聞いたらどうでしょうか。