単騎独考

切れるカミソリではなく、切れなくてもナタでありたい。

責任

世の中の人権派の知識人はオウムの一連の事件に関して性善説で語りますね。性善説で語りたい理由があるのもわかります。しかし、毎日、毎日、傍聴する。全ての事件の詳細、どう人を殺したのかという陰惨な情報を逃げ場なく二ヶ月、シャワーのように浴びるのです。毎朝、2ヶ月、裁判所に行くと、家族を殺された方々、VXガスをかけられた方に、「おはようございます」と挨拶をするのです。返事をしてくださる方もいますし、私の存在を丸ごと否定するかのような人もいます。どうして、そこに私がいるかと言えば、映画の中で伝えるべき真実は何か、私は責任をとっていかなければならないからです。そういう映画を作っています。なかなか苦しい作業です。こういうプロセスはドキュメンタリーには織り込めませんので、折を見て文章にしたいと思います。ポストプロダクションで起こったことも含めて。